がんもどき?

概要 

  • がんには転移するものと転移しないもの(「がんもどき」)があるとする主張は恐らく正しい
  • 「がんもどき」は治療する必要がないとする主張は正しくない
  • 「本物のがん」の発見時には既に転移しているとする主張も正しくない

がんの前段階細胞 

「本物のがん」には、少なくとも、次の機能があります。

  • 無限増殖機能
  • 組織浸潤機能
  • 転移機能

これら機能は一度の細胞変異によって獲得されるのではなく、複数の細胞変異によって獲得されると考えられています。 だとすると、前2つの機能を獲得した細胞が実在するはずであり、それは「がんもどき」と言えます。

また、がんの発生経緯を考慮すると「がんもどき」は将来的に「本物のがん」になる可能性が高いと言えます。 「がんもどき」も、既に2つの機能を獲得しているので、残りの機能を獲得すれば「本物のがん」になります。 「がんもどき」は、正常な細胞と比べて少ない変異で「本物のがん」になるのだから、「本物のがん」になる可能性は正常な細胞より高いと言えます。

おどろくべきことに、提唱者の近藤誠氏も「はじめはがんもどきであっても途中から本物のがんになることもある」と認めているようです。 それなのに、何故、「がんもどき」は放置して良いと主張するのでしょうか。

治療の必要性 

治療の必要性は、その時点でがんが転移能を持っているかどうかだけで決められるものではありません。 治療方針を決めるためには、次のようなことを考慮する必要があります。

  • 原発層のがんが患者の生命や健康を脅かしていないか
  • 将来的な転移により患者の生命や健康を脅かす可能性があるかどうか
  • 他にもっと適切な治療法があるかどうか

がんは、発生臓器を破壊しながら成長します。 発生臓器や周辺臓器を圧迫することにより機能不全を引き起こすこともあります。 臓器の機能不全等により、患者の生命や健康が脅かされるならば、「がんもどき」であっても治療する必要があります。

また、「がんもどき」が「本物のがん」になる前に取った方が良いとは言えるでしょう。 「良性のポリープだけど念のため取っておきましょう」と言うのと同じ理屈です。

さらに、「本物のがん」であっても、発見時に転移していないこともあり、その場合は、転移する前に手術すれば完治が見込めます。 例えば、大腸癌肝転移に対する外科治療 update - 日本臨床外科学会雑誌78( 1 ),1―10,2017(J-STAGE)によれば、東大病院肝胆膵外科での大腸がん肝転移の治癒率(術後10年前後で生存率曲線が平坦になっている部分の生存率)は30%弱です。 大腸がんになってしまったら? - 国立病院機構 神戸医療センターによれば、国立病院機構 神戸医療センターでの大腸がん肝転移の5年生存率は東大病院肝胆膵外科とさほど変わらないので、治癒率も同程度であると推定されます。 ちなみに、転移性肝がん - 国立がん研究センター東病院によれば、国立がん研究センター東病院の転移性肝がんの手術後生存率は65%で、これは東大病院肝胆膵外科の大腸癌肝転移の手術後生存率を大きく上回っています。 肝転移しているならば、「がんもどき」ではない「本物のがん」であることは明らかでしょう。 そして、「本物のがん」であるにも関わらず、手術後に治癒が見込めるということは、がんが見つかった段階では再転移が起こっていない証拠です。 つまり、「本物のがん」であっても、必ずしも、発見時に転移しているとは限らないということです。 そして、早期発見であるほど転移していない可能性が上がることは言うまでもありません。 これにより、近藤氏の「がんもどき」理論は根本的に誤っていることがわかります。

もっと言えば、「がんもどき」と「本物のがん」を区別する方法がないので、近藤氏の「がんもどき」理論を採用しても、手術の必要性は否定できません。 以上、まとめると次のような理由で手術はがん治療の第一選択になり得ます。

  • 「がんもどき」と「本物のがん」は区別がつかない
  • 「がんもどき」もいずれ「本物のがん」になる可能性が高い
  • 「がんもどき」が患者の命を脅かす場合もある
  • 「本物のがん」であっても未だに転移していないことがある

提唱者の姿勢 

彼は対談の場で、「早期胃がんが発見された場合、放置をするより手術をした方が寿命が延びることを示したエビデンスはありますか」と尋ねてきました。 それに対して私が「エビデンスはない」旨を述べると、彼は「それでは手術すべきではない」と力を込めて説くのです。 エビデンスは日本語にすれば「証拠」。 「手術をするメリットがあるという証拠が存在しないのならば、近藤氏の言う通りではないか」と思う読者もいることでしょう。 しかし、ここに彼のトリックがあります。

医学で言うところのエビデンスとは、「ランダム化比較試験」(第III相試験)という臨床研究の結果を指します。 日常会話における「証拠」よりも厳しい基準がそこにはある。 そして、これに基づいて「放置vs手術」を比較した臨床試験はこれまでに存在しません。 というのも、それは倫理的に不可能だからです。 「放置が有効かどうか調べたいから手術しません」などという患者の意思を無視した「比較実験」がこれまでも、そしてこれからも許されるわけがない。

しかし、エビデンスはなくても、手術にメリットがあるとする「根拠」はいくつも存在しています。

その代表例として、日本の優れた胃がん手術レベルを示すデータがあり、それを対談で紹介しました。 1993年当時、国立がんセンター中央病院での早期胃がん患者1400例以上の手術成績について、他病死を除いた生存率は、5年生存率98・1%、10年生存率95・6%と報告されています。 すなわち、早期胃がんが発見されて手術を受けると95%以上は治癒するというものです。 実際の臨床現場でもこれらのデータはしっかりと再現されています。


そこで、ひとつの裏付けとなる論文データを紹介しました。 56人の早期胃がん患者が何らかの理由で放置されたケースにおいて、36人(64%)が進行がんへと変化し、早期がんのまま維持できた平均期間は3・7年だったというものです。

この論文は、がんを放置するとどうなるかの流れ(自然史)をよく示しています。 言い換えれば、早期がんの状態を一定期間キープできたとしても、高い確率で遅かれ早かれ進行がんへと移っていくということです。 また、早期胃がん手術の成績は、前項でも示した通り95%以上は治癒するわけですが、進行した状態で見つかった胃がんへの手術のみの治療成績は5年生存率で61%ほどに落ちてしまいます。

がん放置療法「近藤誠」医師の7つの嘘 - デイリー新潮P1,2

手術成績についてランダム化比較試験の結果はありません。 しかし、それなりの推論を可能とする科学的根拠はあります。

  • 早期胃がんの手術後10年生存率95.6%
  • 早期胃がんを放置した36人(64%)が進行がんへと変化、早期がんのまま維持できた平均期間は3.7年
  • 進行した状態で見つかった胃がんへ手術後5年生存率で61%

正確性を欠くものの単純計算すると、早期胃がんを放置した36人(64%)が進行がんになってから手術する場合の8.7年生存率は約61%となります。 さらに、残りの36%の8.7年生存率が100%と仮定して加重平均をとると、早期胃がんを放置した全体の8.7年生存率は約75%となります。

  • 早期胃がんの手術後10年生存率95.6%
  • 早期胃がんを放置して進行がんになってから手術した場合の8.7年生存率は約75%

このように、倫理的に許される範囲の科学的根拠から、がんを早期発見して手術することには一定の効果があると推論されます。 もちろん、今後も、倫理的に許される範囲で可能な限りデータが収集され続けています。 その結果として、手術の治療効果に疑義が生じればさらに詳細に検証されます。 検証して治療効果がないという結論になれば、当然、治療法から外されることは言うまでもありません。 今まで使い続けられているということは、そうした検証に耐えてきたことを示しています。

また、早期胃がん手術の成績は、前項でも示した通り95%以上は治癒するわけですが、進行した状態で見つかった胃がんへの手術のみの治療成績は5年生存率で61%ほどに落ちてしまいます。

彼の言うように、深さや大きさに関係なく、すでに転移しているというのならば、深さが「浅い早期胃がん」であれ、「深い進行胃がん」であれ、手術成績は同じになるはずです。 ちなみに1ミリほどの早期胃がんの手術成績は10年生存率で98・6%です。 潜在している転移は、一体どこに行ってしまったのでしょうか。

がん放置療法「近藤誠」医師の7つの嘘 - デイリー新潮P.2

早期胃がんの「がんもどき」率が高く、進行胃がんの「がんもどき」率が低いということあれば、「深さや大きさに関係なく、すでに転移している」という理論の辻褄に合います。 ここで、「がんもどき」が「本物のがん」になることはないと仮定すると、早期胃がんと進行胃がんの「がんもどき」率の差は説明できません。 しかし、一定確率で「がんもどき」が「本物のがん」に変化すると仮定すると、早期胃がんと進行胃がんの「がんもどき」率の差が説明できます。 もしも、一定確率で「がんもどき」が「本物のがん」に変化するのであれば、「本物のがん」になる前の早期に「がんもどき」を手術で取り除くことで生存率が向上できることになります。

同様に、「すでに早期のうちから転移が潜んでいて、仮に早期発見されていたとしても、死ぬ運命にあった」例として、近藤氏が対談で名前をあげたのが、俳優の今井雅之さんである。 今年5月、大腸がんで亡くなった今井氏のケースを持ち出して、早期発見には「意味なし」と強調するのだ。

これは近藤氏の常套手段で、過去に逸見政孝氏や中村勘三郎氏にも同様に言及してきました。 注目度が高く、影響力の強い人物の例に自身の理論をあてはめることで、賛同を得ようとしているのかもしれません。

しかし、これら著名人の不幸なケースから学ぶべきは、転移がすでに潜んでいたはずだから早期発見はムダだとする近藤理論の正しさではなく、早期発見の大切さです。

拙著『がんとの賢い闘い方「近藤誠理論」徹底批判』(新潮新書)にも記しましたが、逸見氏の胃がんは、年に1回の胃がん検診を受けている最中に発見されました。 最初の手術を受けた時には、すでに腹膜転移をきたした「びまん浸潤型(スキルス)進行胃がん」という最悪の形で診断されている。

それを受けて近藤氏は、〈異常なし〉とされた前年の検診段階で、1ミリほどの非常に小さな胃がんが潜伏していたと言い切ります。 そのうえで、すでに腹膜転移が先行した「本物のがん」だったと説くのです。 逸見氏は検診を定期的に受けていても死を避けることができなかった、だから胃がん検診は無意味だというのが、彼の主張です。

しかし、逸見氏の患ったスキルス胃がんは、早期の時点では見逃されることがあり得る。 早期発見できるかどうかは、内視鏡検査を実施する医師の観察眼や診断レベルに依拠するところが大きいと言える。

そもそも、内視鏡で観察できるのは胃の粘膜面の上っ面のみであるため、そこに変化がなければ〈異常なし〉とされてしまいます。 確かにスキルス胃がんは、その上っ面からがん細胞が検出されないことがよくある。 がんの発育の中心が、内視鏡では分かりづらい粘膜の下(粘膜下層)レベルであることが多く、早期診断が遅れ得る、とても厄介な特徴を持っているのです。 しかし、だからと言って「早期発見が不可能」ということではありません。 「100%見つけられないのなら無意味だ」というのは早計。 ましてや運命で片づけるなど言語道断です。

今井氏の大腸がんが、どのような状況で最初に発見されたのか。 情報がありませんので明確なことは言えませんが、遡れば、転移のない早期の段階が必ずあったはずです。 不運にしてその時期には発見されず、治療する機会を逸したのだと思われます。

がん放置療法「近藤誠」医師の7つの嘘 - デイリー新潮P.2

近藤氏は、医療技術や医師の技量により偶々早期発見を見逃した例のみを持ち出して、検診の無意味さを説いているようです。 しかし、それは体験談論法とどう違うのでしょうか。 治療効果に科学的根拠を求めるなら、当然、近藤氏も科学的根拠に基づいて主張すべきなのではないでしょうか。 検診をした場合としない場合の比較データを出さずに有名人の一例のみを持ち出して結論を導くのなら正しくトンデモ理論です。

世界各国で子宮頸がんの検診が進められているのは、医学界の陰謀ではなく、死亡率を下げることを証明する多くの論拠が存在するから。 海外で出たネガティブな結果をひとつやふたつあえてもってきて、がん検診すべてを否定してしまうステレオタイプな見方を読者はどう思われるでしょうか。

がん放置療法「近藤誠」医師の7つの嘘 - デイリー新潮P.4

近藤氏は極端な例を好むようです。

「手術にメリットがない」と主張したいのならば、それを証明する義務は近藤氏の方にあります。 エビデンスまで行かずとも、放置でどれほどの治癒が見込めるのか、先ほどあげた数字と同レベルの利益があることがわかるデータ、根拠を示すべきなのです。


彼の提唱する「放置療法」は、治療行為を身勝手に否定することで、放置を推奨しているだけ。 放置することの利益・不利益については何も確かめられていないのです。 自らの体験談でうまくいったケースを強調しますが、数少ない単なる偶然を並べるだけでは根拠薄弱。 加えて、放置による不利益については決して語ろうとしないのです。

医療倫理の大切さを物語るうえで好適な話があります。 それは1972年、ニューヨーク・タイムズが伝えた、衝撃的なニュースです。

47年から、梅毒にはペニシリンを使用することが標準治療とされていました。 にもかかわらず、アラバマ州のある町では、梅毒感染したアフリカ系住民にこの薬品を使用せず、自然経過をみる実験が70年代までの40年間にわたって行なわれてきたというのです。 狙いは、人種の違いが病気の経過に影響を与えるかどうかを確かめることでした。

この報道を契機として、医療倫理に対する配慮が国際的に一気に広まりました。 「放置が手術より利益がある」というエビデンスがどこにも存在しないのに、放置を勧めるふるまい。 それと右の事件との違いは、果たしてどこにあると言うのでしょうか。


近藤氏はいつものことながら、高らかにこう宣言する。 〈がん治療で寿命が延びる根拠はなく、逆に合併症や後遺症という不利益は明確にある。 がん治療を受けないほうが長生きすると確信しているし、声をあげ続ける〉

がん放置療法「近藤誠」医師の7つの嘘 - デイリー新潮P.1,3,4

既に紹介したとおり、早期胃がんは手術した方が生存率が高いことを示す科学的根拠や、「がんもどき」も早期に手術で取り除いた方が良いことを示す科学的根拠はあります。 それを否定して「放置療法」の方が優れていると主張するなら、体験談を並べるのではなく、科学的根拠を示すべきでしょう。

彼は、研究者と製薬企業がぐるになってデータを操作し、論文が作られていると最初に決めつけます。 それが本当に立証できれば、世界的なスクープだと思うのですが、彼は証拠を示しません。

パニツムマブ論文の著者である医師たちの中に、治験を依頼する会社から資金提供を受けている者がいるのは事実です。 しかし、大きな臨床試験を実施する際には、それなりの額の研究費用というものが必要になる。 私も、規模の大きなランダム化比較試験を手掛けたことがあります。やはり、運営費やデータ保持費用などが相当かさみました。 だからといって、医療倫理に背きデータを都合よく操作することがあってはなりませんし、実際には不可能です。

検査は厳密なスケジュールで進められ、さらに抗がん剤治療を受けた患者なのか否かが知らされていない第三者が〈進行あり/なし〉の判定をする。 したがって、担当医や研究者たちはデータの解析には一切手の出しようがありません。 「いいデータ」なんて意図的には作れないのです。

それでも陰謀説から離れられないのなら、厚労省はもちろん、これを採用した米国・欧州の規制当局にも異を唱えるべきでしょう。

がん放置療法「近藤誠」医師の7つの嘘 - デイリー新潮P.3

第098回国会 衆議院 予算委員会 第16号第098回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号によれば、製薬企業が論文データの不正をした事例はあり、このようなやり方にも抜け道はあります。 しかし、データ等の不自然さを指摘されば、不正は容易に発覚します。 そして、発覚すれば製造承認の取り消し、製造販売の停止と製品の回収、営業停止等の処分により莫大な損害を被ります。 そうした危険性を冒してまで不正に走っても自転車操業にしかならないので、まともな人は不正に手を染めません。 さすがに、「研究者と製薬企業がぐるになってデータを操作」は、不正に関わった全員の口封じが不可能です。 結果、目先のことしか考えない一部の人が不正に走ることはあっても、組織ぐるみでのデータ不正は実現不可能な陰謀論です。

その一方で、近藤氏が意図的に自分に都合のいいデータを作っているのは前回の記事でご説明しました。 100年前の乳がん放置治療のデータを貼り付けるなど、いろいろなところがら材料を持ってきてグラフを自作しているのです。 そういった工作こそ、本来やってはいけないもの。しかし、彼は対談の席上、「それは控えめな作業であった」と弁明するのでした。

がん放置療法「近藤誠」医師の7つの嘘 - デイリー新潮P.4


今度は、彼が抗がん剤を否定するために頻用する「自作グラフ」(図3)に注目しましょう。これは、

(1)約100年前の、放置された乳がん患者の生存成績

(2)転移した乳がん患者に対して、複数の抗がん剤を併用した場合による1次治療成績(近藤氏作成)

(3)転移した乳がん患者に対する抗がん剤(ドセタキセル)単剤による2次治療成績

という3つの患者集団のデータを1つのグラフにまとめたものです。

近藤氏は、(1)~(3)を比較したところ、抗がん剤を使用した(2)(3)よりも、放置した(1)の方が成績が良いと主張している。 そして、「やっぱり抗がん剤には縮命効果はあっても、延命効果はない。放置したほうがいい」と結論づけるのだ。

そもそも、時代も患者の背景もまったく異なる別々のデータについて、スタート時点を一緒にして比較するという手法には“バイアス”が多分にかかっています。 また、それ以外にも彼の主張には問題がある。 引用されている(1)の出典の論文を読んでみると、その結論には「治療をしないと半数が3年ほどしか生きられない。 治療を受けることで生存期間も延び、さらには患者の生活の質(QOL)の改善までも得られる。終末期でもより苦しまなくて済む」とあるのです。

一方で、この論文には「放置」と「治療」を比較したデータまでもしっかり掲載されており、そこでははっきりと「治療」した方が生存期間が長いことが示されています。

つまり近藤氏は「乳がんは放置するよりも治療したほうが良い」という主旨の論文の中から、わざわざ「放置した」グラフ部分だけを切り取り、都合よく別のデータの上に貼り付けているのです。 医師として持つべき科学的な視点は、どこへ行ったのでしょうか。

【罪深いがんもどき論の真実】大場大「『がんは放置しろ』という近藤誠理論は確実に間違っている!」 - デイリー新潮P.4

これは酷い。

信頼性の低い手法ではあるものの、元の論文にないデータを採って比較することは珍しくありません。 しかし、その手法で何らかの可能性を示唆することができても、確定的な結論を導けません。 これは、他者に追加の研究を促したり、自ら追加の研究を行うべきか判断する目的で実施する手法です。 しかし、元の論文にあるデータの一部を別のデータと差し替えることはあり得ません。

その理由は、第一に、違う研究のデータは条件を揃えることが困難だからです。 元の研究がランダム化比較試験なら、元のデータの方が条件が揃っていることには疑いの余地はありません。 ランダム化比較試験でなくても、地域や時期や研究機関個別の違いは、同じ研究であれば生じにくくくなります。 しかし、違う研究を比較しようとしても、地域や時期や研究機関個別の違いが生じやすいのです。 だから、元の論文にあるデータ同士で比較した方が圧倒的に信頼性が高いわけです。 丸山ワクチンの子宮頸がんの臨床試験では、低容量丸山ワクチン+放射線の1回目の5年生存率は58.2%で、同じ条件の2回目の5年生存率は75.7%で、20%近くの開きが出ました。 研究者は「抗がん剤と併用の患者さんが予想以上に多くて予後がよくなったとか、あとは2期の患者さんが予想以上に多かった」と説明していますが、比較的時期の近い同じ研究機関の研究であっても、別の研究データになるとこれだけの開きがあります。 全く違う研究データでは、その違いがもっと顕著になることは言うまでもありません。 だから、元の論文にあるデータを別の研究のデータと差し替えてわざわざ信頼性を低下させる合理的理由は全くありません。 一方で、元の論文にないデータと比較する必要ある場合は、信頼性が低下してもデータがないよりはマシです。 しかし、元の論文にあるデータの一部を別の研究のデータに差し替えるなど正気の沙汰ではありません。

第二に、条件を全く同じにしても、自由な差し替えを許せば、統計上のトリックを仕掛けることが可能です。 確率的な現象である以上、データのバラツキは避けられません。 だから、何度もやり直して良いなら、いくらでも都合の良いデータを導けます。 福引を何回でも回し直して良いなら、確実に1等が出せるのと同じ理屈です。 だから、持論に都合の良いデータを示している論文を探してきて、そのデータと差し替えれば恣意的な結論を誘導できます。 都合の良いデータが出るまでやり直すことができないように、臨床試験は1回きりのぶっつけ本番なのです。 元の論文にあるデータの一部を別の研究のデータに差し替えることを許せば、統計誤差を逆手に取った不正がやり放題になります。

以上2つの理由により、元の論文にデータがあるなら、その一部を差し替えたりせず、元の論文にデータのまま比較検討を行うのが科学的姿勢です。 近藤氏のような一部データの差し替えは都合の良い結論を導くための疑似科学的手法に他なりません。

近藤氏がズルいのは、「医師」という肩書があるにもかかわらず、従うのが前提の「医学」のルールを無視して、なおかつ「証拠を出せ」と開き直っている点です。 別の言い方をすれば、彼を批判する医師は「医学」という土俵で戦っているのに、近藤氏は「医学」と「思想」のふたつを巧みに使い分けているわけです。

医師として言論活動をしている以上、意見を言うには、冒頭でも示したように近藤氏自身が証拠を示す必要がある。 医学界がおかしいと対峙し続けるのであれば、医師としてではなく、思想家として言論活動を行なうべきでしょう。

そのような自家撞着こそが最大のバイアス(偏り)であり、それに引き寄せられた無知な患者が不利益を被ることだけは、決して許容されるものではないのです。

がん放置療法「近藤誠」医師の7つの嘘 - デイリー新潮P.4

他人には医学的な根拠を要求して、持論の主張には思想を語るだけという手段は、まさしく、トンデモの典型的手口でしょう。


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