科学万能説

「科学万能は大嘘」と言って非科学的な物を勧める輩が居る。 確かに、科学は万能ではない。 というより、真っ当な科学者は誰も科学を万能とは考えない。 しかし、それは、決して、科学より非科学が優れていることを示してはいない。

科学は万能でないし、万能は科学ではない。 科学を万能と思うのは、科学ではなく一種の信仰である。 理解を越えた力を神の力と信じ、神を万能と信じるから、理解を超えた力は万能だと信じる。 無理解な人にとって、科学は理解を越えた力であるから、万能と信じるのも無理はない。

しかし、万能に進歩はあり得ない。 万能ではないからこそ、進歩する余地がある。 この世には、初めから完璧な物など存在しない。 全ての物事は進歩によって築き上げられている。 そして、人の能力が有限である以上、どんなに進歩しても、永遠に、万能には到達できない。 もし、科学の成果が万能であるなら、既存の成果を利用するだけで事足りるから、新たな科学的研究は必要なくなる。 逆に言えば、今も科学的研究が行われているなら、科学の成果が万能に達していない証拠となる。

科学とは、新しいことを拒絶することではない。 何故なら、科学の手法は進歩の手続きだからである。 新しいことを拒絶していては、進歩はあり得ない。 突拍子もないように見えることであっても、採り入れる価値のある物は採り入れるのが科学である。 科学は、明らかに間違った推論を排除するだけであって、決して、新しいことを門前払いにしない。 科学が新しい物事を門前払いしたかのように言われる場合の多くは、実は、その新しい物事が科学を門前払いにしているに過ぎない。

科学では、進歩の手続きも常に進歩する。 それは、その時代において最も優れていると考えられる方法を採用するからである。 未来の科学は今の科学より優れた進歩手続きを備えているだろうが、同じ時代の中の他の手法と比較する限り、科学を超える進歩の手続きは存在し得ない。 言い替えると、それぞれの時代において進歩手続きが最も優れている物を科学と呼んでいるに過ぎない。 科学は自己修正機能がある。 より優れた理論が生まれれば、それが従来の理論に取って代わることが出来るのである。 もし、従来の科学より優れた物が生まれたなら、新たな科学はそれを取り込んでしまうのである。 だから、どの時代においても、常に、科学より優れた物は存在し得ない。

長年蓄積された科学の成果は、万能ではないが有益で有力である。 それは、科学の手続きを踏んでいない物とは雲泥の差である。 科学を含めた世の中の物事が決して万能ではないからこそ、科学に頼り科学の成果を利用するのである。 科学の目的は万能を求めることではない。 少しでも役に立つ物を選別するために科学の手続きを利用するのである。 科学の手続きを踏まない物は論外である。

以上のとおり、科学万能説否定は、非科学を否定する根拠になっても、科学を否定する根拠にはならない。 つまり、科学万能説否定では、非医学的治療を否定できても、医学的治療は否定できない。