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オカルト

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[真贋鑑定法]

オカルトと科学の違い

オカルトと科学の違いは、Wikipedia疑似科学を参照してください。科学理論は次の要件を備えている必要があります。

  • 反証可能性を備えていること
  • 未だ反証されていないこと
  • その理論が最も信頼性が高いこと

この要件を備えたその時点での暫定的仮説が科学と見なされます。これは、カール・ポパーが提唱した科学とそれ以外を区別する基準として提唱し、今日広く受け入れられた考え方です。反証可能性があるかぎり「真実である以外、他に可能性がない」とするのも仮説の証明方法です。

しかし、オカルトは、真実以外の可能性を頭ごなしに否定します。反証可能性があるが反証できないことと、初めから反証を受け付けないのとは全く違います。

奇妙な「学術団体」の奇妙な「論文」

論文は、何故、信頼されるのでしょうか。査読が為されているからでしょうか。確かに、査読で、テーマの新規性や有用性、研究デザインの優劣は判断できます。しかし、査読では、その論文の真偽までは確かめようがありません。つまり、査読でその論文が真実であると太鼓判を押すことは不可能です。それでも、論文にはそれが真実であろうという推論が一定程度成り立ちます。それは、追試等の反証を受け入れているからです。研究のやり方やデータを詳細に公開し、反証可能性を確保しているから、それなりに信頼が置けるわけです。

かつて、常温核融合に関する論文が世界的に話題になりました。しかし、追試が尽く失敗に終わり、今では下火になっています。単に再現に必要な条件が欠けていただけなのか、発表者の勘違いなのか、それとも、世紀の大嘘なのかは分かりません。しかし、決定的な新証拠を提示できない限り常温核融合が再度日の目を見ることはないでしょう。この事例からも分かるとおり、追試で支持されないような論文を書いても、発表者が大恥をかくだけです。嘘の論文でも発表時は注目を浴びるでしょうが、それも追試結果が分かるまでの一時的な仮初めの栄光に過ぎません。それまで築き上げてきた守るべき物があり、正常な判断力がある人なら、自らが大損する嘘はつかないはずです。だから、論文には、それなりに信頼が置けるわけです。

ところが、世の中には、奇妙な「学術団体」が存在します。その奇妙な「学術団体」の発行する雑誌には奇妙な「論文」が発表されています。それは、追試が不可能で反証可能性が全くない「論文」です。その「論文」には、個人の特殊能力に依存する治療法の成果などが書かれています。その場合、違う人物を使って追試を試みても、最初の論文の能力者が紛い物であることは証明できません。同じ人物を使おうとしても、本人が承諾する方法でしか実施できません。もし、その能力者がとんでもないペテン師であるなら、失敗するような実験方法には応じないでしょう。だから、その「論文」を反証することは不可能なのです。これでは、「論文」と名の付くだけの非科学的な教義に過ぎません。

非科学的なオカルト否定法

トリックを暴くというやり方は、極めて非科学的なオカルト否定法です。なぜなら、科学的にはトリックを暴く必要はどこにもないからです。トリックの詳細が分からなくても、他に説明がつく時点で科学的には証明されていないことになります。逆に言えば、トリックの詳細が分かるかどうかは、肯定の根拠にも否定の根拠にもならないわけで、根拠にならないことに固執するのは非科学的な姿勢と言えます。科学の世界では、肯定も否定もできないものは頭ごなしには否定できないものの、雲をつかむような話には存在価値も認められません。雲をつかむような話であることを示しただけで、実用上は否定されたも同然であり、紛い物であることの証明がなくても実用的な価値はありません。しかし、そうした常識が通じない人が居るのも確かです。そのような人に、真実を伝えるには非科学的な方法も必要になってきます。

Mr.マリックの手品の種が全て分かるでしょうか。世界のトップクラスのマジシャンの手品の種が全て分かるでしょうか。分かる人には何も説明する必要はないはずです。分からない人にとっては、Mr.マリック達手品師は超能力者なのでしょうか。いや、そんなはずはありません。トリックが分からないからと言って、彼らがトリックを使っていないことにはなりません。思いつかないことと存在しないことは違います。彼らは、確かに、何らかのトリックを使っているのであって、見ている人にはそれが分からないだけです。

ところが、世の中には、思いつかないことと存在しないことが同義だと思っている人が少なくありません。そういう人は、超能力の類を簡単に信じます。超能力以外の方法が思いつかないというだけで、超能力だと決めつけます。一流の手品師の方が遙かに自然な動作で極めてスムーズに不思議な現象を起こすという事実にも目を背け、自称超能力者の極めて不自然な動作で極めてぎこちない動きにも目を瞑ります。客観的に見れば、トリックのためとしか考えられない不自然な行動も完全に無視し、自分の無知を棚に上げて、理解出来ないものを超能力と決めつけます。

彼らを洗脳から開放するには、実際に使われたトリックを暴く必要があります。滝本弁護士が某宗教団体の信者を脱会させるのに空中浮揚を習得したのもそのためです。大槻教授がやたらとプラズマに固執するのも、きっと、そのためでしょう。実現不可能と思っている人に実現可能なことを示すことの説得力は極めて大きいものです。

しかし、それでも洗脳が解けず、「トリックで実現可能なことでも、これがトリックだという証拠にはならない。」と強情に言い張る人も珍しくはありません。それでは、そもそもの話がすり替わっているのですが、本人は全く気付いていません。超能力者にしか出来ないはずだから超能力と信じたはずです。その前提が覆っているのだから、超能力と信じる理由はなくなっているはずです。もし、仮に、本物の超能力だったとしても、超能力者でなくても誰でも出来ることなら、超能力とは信じなかったでしょう。これは、信じた自分を馬鹿だとは認めたくない自己防衛反応の一種です。

このように、オカルトを信じてしまった人の洗脳を解くのは容易ではありません。だから、何の証明にもならない非科学的方法による説明も時に必要になります。

最終更新時間:2005年04月15日 22時16分44秒

真贋鑑定法