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日本のがん医療を問う

This is Japanese cancer treatment information data base.Please refrain from an unrelated contribution to cancer treatment information.

当サイトの情報も含めてインターネット上の情報を鵜呑みにしてはいけません。主治医に相談するなどの真偽の確認は閲覧者自身が行ってください。

[医療制度]

見当違いの批判

私たちの主張2/臨床医ネットに見当違いな番組批判が掲載されています。

NHK から出演依頼があり、NHK スペシャル「シリーズ 日本のがん医療を問う」の第2 弾に「臨床医ネット代表」として小林一彦医師がスタジオに参加しました。番組収録を通じて、患者・家族の方々が抱える悩みや不安、哀しみ、それに対するケア不足などを生の感覚として実感できたのは、有意義なことでした。

しかし、収録前日に下記のような番組の論調を知らされ、一臨床医として強い懸念を覚えました。番組の主張は、『全てのがん患者に治癒する可能性があると前提とし、治癒しない可能性についてはあえて議論をしない。必ずあなたを治す治療はあるはずなのに、世界的に行われているその治療が地方では受けられない、知らされない(地方格差)。新しい治療(未承認薬)も受けられず、がん患者は苦しんでいる。』であると感じられました。

ですが、2006 年1 月7 日、8 日の放映においては、小林の発言は真意を伝えない部分のみの引用で、その後に続いて全く別の場面での患者・家族の方の発言が挿入されるなどの編集がされていました。その他の小林の意見は全てカットされ、結果として我々の意見は全く伝えられていません。

「当方の見解」=「番組の論調」???

「全てのがん患者に治癒する可能性があると前提」や「必ずあなたを治す治療はあるはず」とは、いったい、何処から出てきたのでしょうか。これについて、以下のような言い訳が為されています。

(旧)『全てのがん患者は治癒するのが当然・・』

番組収録に際して当方が受けた印象を、あたかもNHK側がそのように発言したかのように見える紛らわしい表現で説明しておりました。当方の見解であることを明確にするために改定いたしました。

(改定後)『全てのがん患者に治癒する可能性があると前提とし、・・・』

「治癒するのが当然」でも「治癒する可能性がある」でも「当方が受けた印象」であることに変わりなく、「当方が受けた印象」を弱くしただけで「当方の見解であることを明確に」なっていません。

何にせよ、「NHK側がそのように発言した」わけでもなく「当方が受けた印象」や「当方の見解」であるなら、それらの印象や見解は「番組の論調」ではありません。そして、それらの印象や見解は「番組の論調」から生まれているのではなく、医者はどんな病気でも治せるという思い込みから生じているだけです。そして、情報格差を是正すれば、そうした印象も自然と是正されるはずです。つまり、この番組は「当方が受けた印象」や「当方の見解」が一人歩きするのを防ぐ方策を論じているのです。

また、2006年1月の放送では、緩和医療についても踏み込んでおり、緩和医療のおかげで苦しまずに死ねた、緩和医療をしっかりやってくれたら苦しまなかったのに等の証言も放送しており、治らない患者の存在を前提としていることが明らかです。それなのに、どうして「必ずあなたを治す治療はあるはず」という「番組の論調」になるのでしょうか。

小林医師の主張は絵に描いた餅

番組中の「小林の発言は真意を伝えない部分のみの引用」を見る限りでは、小林医師は絵に描いた餅について論じているように見えます。小林医師が主張する理想型を実現するためには、十分な情報が提供されることが大前提です。しかし、その情報は極一部しか提供されていません。欧米で承認されているのに日本で使えない治療法が多数あることは元より、日本で受けられる治療法についてさえ全く知らされていません。そして、治療が選択される過程として、あらゆる選択肢を比較検討しているのか、それとも初めから結論があるのか、患者の側からは全く見えません。現状では、医師が患者にそれを知らせることは義務づけられていません。その現状について問題提起するのが番組の趣旨であるのに、そうした現状の問題点を無視して理想を論じても、それは絵に描いた餅に過ぎません。もし、そう見えるのが「その他の小林の意見は全てカットされ」た結果によるのであれば、当然、それに対する反論が為されているはずです。しかし、それに対する反論は意見書ver 1.02に盛り込まれていません。ということは、反論はないということであって、小林医師は現状の問題点を無視して、絵に描いた餅を論じているとしか言いようがありません。

番組の趣旨

番組の趣旨は、格差=「相対」を示すことであって、個々の治療法の効果=「絶対」を示すことではありません。番組では、格差の是正を論じるために、是正すべき格差の存在を示しているだけです。そのための方法論として「相対」の一例を示しているだけであって、個々の治療法を「絶対」として推薦しているわけではないのです。確かに、番組の趣旨がどうであれ、視聴者が違う意図で見る部分はあります。しかし、誤った認識が誤解として一人歩きしてしまうのは、それらの治療法を通常の病院で受けることができずに、医薬品を個人輸入する等しなければならない現状があるからです。そして、NHKが報道しなくても、患者の側の要望がある限り、いずれ、何処かから流出するものです。だから、格差がある限り一人歩きの悪影響を排除することは不可能であり、格差を是正しなければ問題の根本解決にはなりません。そもそも、そうした情報の一人歩きを恐れて、格差の是正を論じることができないのでは本末転倒です。

反発を受けた理由

「一部の方々から猛反発」を受けたのは、、見当違いのこと=真実であっても言う必要がないことで患者の感情を逆撫でしたからであって、「番組企画の流れと結論に異を唱えるものだったため」などではありません。小林医師の主張は番組の結論に全く影響を与えないから「その他の小林の意見は全てカットされ」たのでしょう。逆方向だったからではなく横向きの意見だから、カットされたのです。例えて言うなら、巨人贔屓の野球番組で、阪神を絶賛したのではなく、単にサッカーの話を延々としただけ・・・ということです。

歪曲

意見書ver 1.02の要旨#5「緩和ケアは生を尊重するために治療初期から開始されるべきである」に至っては、「番組の論調」そのものです。ちゃんと放送されている内容なのに、あたかも、番組で報じられていないかのように論じるのは如何な物でしょうか?

前回放送分について

前回の放送に対する提言書でも、「死亡率の国際比較」なる「番組の論調」を勝手に作ってしまっています。番組で言われていたことは「米国では死亡率の増加に歯止めをかけ減少に転じることに成功したが、日本は未だに死亡率が上昇傾向にある」旨と、そのことから日本でも死亡率を下げる余地があることであって、米国と日本の死亡率の直接比較は行われていません。これも「当方が受けた印象」や「当方の見解」です。

未承認薬が未承認となっている理由をもっと掘り下げて分析しろという指摘は、全くその通りだけど。

まとめ

まとめると、臨床医ネットの主張は、根本的な問題を解決する手段を論じているのに、根本を解決すれば解消する過渡期の問題、それも根本的問題と比較すれば些細な問題の是非を殊更強調し、それをもって根本的問題を論じることをけしからんと言ってるような物で、それでは、木を見て森を見ずです。しかも、「番組の論調」とは全く別の原因で生じた「当方が受けた印象」や「当方の見解」を「番組の論調」と称している所は、別の森の木を見てその森を見ずと言うべきでしょう。

ハッキリ言って殆ど見るべき価値のないトンデモです。しかし、ネットで検索してみると、臨床医ネットの主張を鵜呑みにしている所の何と多いことか!!臨床医ネットの主張の一部を切り出して客観的に検証している所もあるけれど、臨床医ネットの主張の全体像がトンデモだと指摘する所は皆無です。

鵜呑みにしているあるブログでは、患者団体が医療費抑制や混合診療解禁に賛同しているかのようなことまで書いてありました。それは、いったい、どこの患者団体でしょうか?確かに、規制改革・民間開放推進会議が患者団体の主張を利用して混合診療解禁を持ち出したのは事実です。しかし、即座に患者団体の反発を受け、厚生労働省が解禁しない方針を押し切ったはずです。

おまけ

次のような批判も見当外れだけど・・・。

http://blog.goo.ne.jp/koutsuujiko/m/200601

昨夜と今夜の二夜連続で放送された「NHKスペシャル 日本のがん医療を問うII」ですが、その第一夜で、こんな発言をした医師がいました。

・日本のがん患者、毎年新たにがんと認定される患者のうち、60%は助かる。残り40%は治療法が無いので死ぬ。

・その40%に入る人には、残念ながら「延命」ということになる。

驚きました。目の前には多くのがん患者やその家族が並んでいて、これからのがん医療をどう高めていくか、人の、患者の尊厳をどう守っていくのか、といった議論が為されている中で、あまりにあっさりと、「○○%は助かるが、○○%はどうせ死ぬ」という発言でした。

番組の一部分だけを切り出してけしからんと強調するのでは、臨床医ネットの主張と大差ありません。

格差やそれを生む制度を無視して、現行制度内でどう行動すべきかという観点で物事を論じるなら、確率論でがん治療を論じるのは当然のことです。医師は患者にとっての最大の利益を追求すべきであって、人を救う最大限の努力をすることは極めて人間的な行為です。その方法として確率論は必要であり、確率論を持ち出したから人間性に欠けるということにはなりません。

小林医師の発言の問題点は、この番組の趣旨にそって議論するのに必要ない確率論を持ち出し、その結果として、患者の感情を逆撫でしただけで終わったことです。言い替えると、必要性があれば確率論を持ち出しても何も問題はないということです。

反論

しかし小林先生のおっしゃっていることは真実です。

 転移した癌は「延命」できても「治癒」しないということが理解できていない患者さんが如何に多いことか。

そのような患者さんが治癒を求めてあちこちさまよう状態は「がん難民」と呼ばれていますが、貴重な人生の最後の一瞬を無駄にしているとしか思えません。死を受け入れて、最大限の緩和医療を受けながら在宅やホスピスで最期を迎えることができる人の方が幸せに見えるのは私だけでしょうか。もっとも「がん難民」(=あきらめきれない人)にとってそのような死に方は受け入れられないものかも知れませんが。

 抗癌剤の効果とは多くの場合腫瘍の縮小率であって延命率について正確なデータを有するものはごくわずかということを知らない人が如何に多いことか。

奏効率20%の薬とは投与を受けた人のうち20%の人の癌が投与前の7割以下の直径に縮むということですが、この程度の縮小では実質的に延命はないと言ってもいいくらいです。その上残りの8割の人には何の効果もなくただ嘔気や脱毛などの副作用しかないのです。最近でこそ延命の目安となる生存期間を基準とした評価も出ていますが、今最も注目を集めている薬でも平均で3ヶ月程度の延命しか得られないのが現実です。それを今すぐ使えるようにせよという運動も大事でしょうが、ホスピスの充足や緩和医療専門医の育成の方も同じかそれ以上に大事です。なぜならそのような新薬を使っても転移癌の患者さんは結局ほぼ100%亡くなるからです。

反論のおまけ

 アメリカの医療は優れている、日本は遅れているという批判

このような批判をよく耳にしますが、かけているお金が全然違います。アメリカの医療費はバカ高い。そして不公平です。貧乏人は最高の医療を受けられない。そこを忘れて中身の違いに不平を言うのは間違いだと思います。そして、平均寿命を見ると明らかに日本の方がアメリカより長い。これは日本の医療や保健行政(それとも食生活や日本人のDNA?)がアメリカのそれらに勝っていることの証明ではないでしょうか?

問題は情報格差と医療改革

まず、「がん難民」の定義が違っています。「がん難民」とは、治癒不可能な患者が「治癒を求めてあちこちさまよう状態」ではありません。何の情報も持たず、医者の言うことを鵜呑みにするか、疑うかの二者択一しか選択肢が用意されていない状態では、死を宣告されて、それを疑いたくなるのは人間として当然の反応です。疼痛緩和も含めて、あらゆる治療法の選択肢を提示された上で、自ら、それを選択できれば、納得できる治療が受けられます。そうした状態にない患者を「がん難民」と呼ぶのであって、治癒不可能な患者が無駄なあがきをすることを「がん難民」と呼ぶのではありません。その辺りの誤解が「小林先生」の勘違いの原因でしょう。

癌その物への治療が不可能で、疼痛緩和だけが唯一残された道である患者も多数います。そして、疼痛緩和によって苦痛から解放されて、安らかな死を迎えることが出来るのも事実です。番組や出演者は、そのことを全く否定していません。むしろ、そのための情報を得る体制が全く無いことに対して問題提起をしているのです。疼痛緩和が不十分なことへの問題提起をしているのに、疼痛緩和の足を引っ張っているかのような非難は言い掛かりでしょう。

確かに、治癒が見込めないのに治癒を求めて彷徨う患者はいます。だからこそ、番組では、情報格差を是正する必要性を強調し、そのための体制作りに言及しているのです。それが「番組の論調」であることは、上の方で述べてあるはずです。指摘されたことも含めて、全ての問題は情報格差によって生じているのであり、それを解消しようとしているのに、「小林先生」は、大きな問題に目を向けずに、情報格差の是正によって自然と解消するはずの個別の問題を重箱の隅をつつくように指摘しています。それが見当違いなのです。

「その上残りの8割の人には何の効果もなくただ嘔気や脱毛などの副作用しかない」のであれば、その「残りの8割」は使用を中止し、他の抗がん剤を試せば良いだけのことです。「平均で3ヶ月程度の延命」とは、個々の患者の特性を無視して闇雲に投与した場合のデータに過ぎません。効果がなくて逆効果になる患者も含めた平均値でしかなく、奏功しない患者への投与を直ちに中止した場合は想定していません。だから、それぞれの患者に対して、効き目を確認する方法を確立し、駄目だった場合の二番手三番手の薬が多数用意されれば、延命期間は、それよりはマシになるでしょう。

あと、「3ヶ月程度の延命」は無意味なのでしょうか?他人から見ればたったの「3ヶ月」であっても、それでやり残したことが実現できるなら、本人にとっては大きな「3ヶ月」のはずです。その価値を決めるのは当事者であって、周りがとやかく言うのは間違いでしょう。

誰も「アメリカの医療は優れている、日本は遅れているという批判」をしたいわけではありません。行政や病院や医者を叩いてみても、何も現実は変わりません。大事なことは、アメリカ流と日本流のどちらを取るかではなく、最高の結果を得るにはどうすべきかです。そのためには、一部にはアメリカ流を採用し、一部には日本流を採用するという柔軟な考えが必要です。番組は、アメリカの良い点と日本の良い点、その両方を可能な限り追求するにあたって、アメリカの良い点を挙げているに過ぎません。全て完全に良い所取りをするのは不可能かもしれないけれど、他国の情報を参考にすることで、今より良い医療を実現することは不可能ではないはずです。

最終更新時間:2006年12月31日 00時34分57秒

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